校歌・校章
校歌 詞
東の空に陽がのぼる
緑の丘に風が光る
新しい今日 自由な今日だ
その今日に学ぶきびしさ
その今日に生きる喜び
あこがれやまぬ心いだいて
歴史をたずね 宇宙に問いかけ
ひとりひとりが明日を拓く
ひたむきに おおらかに 友よゆこう
ふるさとの誇りを胸に
われら静岡東高
詞 谷川俊太郎 氏から
校歌というものは、その学校の個性を決定する要素のひとつであると私は思います。それ故、新設校の場合には特に、作詞者の責任は大きい。作詞者の個性も、新鮮な表現という点では必要かもしれませんが、本当に大切なのはやはりその学校に内在している性格を探り、それにふさわしい言葉を見つけ出すことだろうと私は考えます。(中略) 出来上がったものについては、自慢もしないかわりに、弁解もしないことにしましょう。私がこの歌詞にこめたつもりの心、その心以上の熱い心、深く広い沢山の心が、この歌をその本来の価値以上のものにしてくれるでしょう。そう考えてみると、この歌詞は私の書いた多くの歌の中でも、一番の果報者だと云えます。(中略) その学校に生きる生徒諸君の心のもち方ひとつが、校歌を生かしもするし、殺しもする。校歌が生きていることは、その学校が生きていることなのです。社会人となってからも、単なる感傷からだけでなく、折にふれて校歌をくちずさむ、そういう学校を創っていってください。 (東陵第三号・昭和40年度発行) |
曲 林光 氏から
もしも、俺は百年後にのこすことを考えてこの交響曲を書いた、という男が居たら、相当にゴウマンなやつだと言われるだろう。モーツアルトは、二百年後のこんにちまで自分の曲をのこそうと思って、作曲したわけではなく、メシを喰うために作曲しただけだ。それなのにのこってしまった。 ところが、校歌は百年後にのこすことを計算にいれて作曲しなくてはならない。百年たって学校がのこり新しい校歌がつくられない限り、のこってしまう、という可能性があるわけだ。 百年たったらぼくはもちろん生きてはいないだろう。今小学校四年生の僕の娘は九〇才になる計算だが、医学がうんと進歩すれば透明な箱の中でふわふわ浮かびながら立体テレビでも見ているかもしれない。 その頃、静岡東高では、「昔の曲はたいくつでつまらない」、とかなんとか言いながら、この歌を練習しているかもしれない、と考えると、へんな気がしてくる。 特別寄稿より(東陵第三号・昭和40年度発行) |
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校章について
第一回入学式 校長式辞より
すなわち、本校の校章は、静岡市の東の一角に新たに誕生した当静岡東高校を、まさに黎明にかがやく暁の明星にかたどったものであり、したがってそれは又、未来への大きな希望をはらみつつ、清純な青年達が、真理をたずね行動を求めて、青春の躍動を抑えがたく若さ溢るるさまを映したものといえます。 また、中央に一段と高く「高」の配されるのは、単に高等学校の「高」を意味するのみならず、われら相集い、相協力して、より高い人間たらんとするの願いと、また建設の意気に燃えんとするわれら自身の高い誇りをこめたものであります。 諸君は、その若い眉を上げて、広漠たる未来に第一歩を踏み出した本校の歴史と伝統の創造を志向し、大いなる責任感と誇りをもって、この校章を太陽に輝かせていただきたい。 そして創業の鐘を力一杯撞っていただきたい。 |
沿革
昭和38年 | 3月15日 | 静岡県議会にて、静岡県立静岡東高等学校設置を議決 |
3月18日 | 設立準備委員会開催(於 静岡高校) | |
3月28日 | 校章制定(園田唯男氏考案) | |
4月1日 | 静岡県立静岡東高等学校(全日制普通科)設置 開校(1学年7学級)、350人定員、初代校長 河村浩校長着任 |
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4月8日 | 第1回入学式を県民会館にて挙行(373名入学) | |
6月22日 | PTA設立総会 | |
10月18日 | 後援会設立総会、応援団発足 | |
昭和39年 | 3月20日 | 別館完成 |
昭和40年 | 5月28日 | 本館完成 |
9月28日 | 校歌 谷川俊太郎氏作詞成る | |
11月10日 | 運動場拡張工事開始(プール、ハンドボール、テニスコート整備) | |
12月16日 | 校歌 林光氏作曲成る | |
12月20日 | 校旗成る | |
12月25日 | 逍遥歌成る | |
昭和41年 | 1月14日 | 正門完成、体育館兼講堂完成 |
1月21日 | 欅植樹(前庭) | |
1月29日 | 校舎落成、創立3周年記念式典挙行・体育館開き | |
3月10日 | 第1回卒業式挙行 | |
3月28日 | 同窓会発足式 | |
昭和42年 | 2月18日 | 東龍館道場開き |
3月5日 | 中庭造園完成 | |
5月20日 | プール完成(50m×8コース) | |
9月29日 | 創立5周年記念式典挙行 | |
昭和43年 | 4月1日 | 第2代岡本滋校長着任 |
昭和45年 | 4月1日 | 第3代堀池敬校長着任 |
昭和47年 | 9月29日 | 創立10周年記念式典挙行 |
昭和49年 | 4月1日 |
第4代山下精寿校長着任 |
11月15日 | 弓道場完成 | |
昭和51年 | 3月27日 | 「欅の碑」除幕式 |
4月1日 | 第5代有原耕校長着任 | |
昭和52年 | 4月9日 | 65分授業開始、前後期制カリキュラム発足 |
9月12日 | グラウンド夜間照明装置完成 | |
昭和53年 | 6月10日 | 地震予知観測学習モデル校となる |
8月31日 | 特別教室棟(2階建、美術・書道教室)完成 | |
昭和54年 | 3月20日 | 欅寮完成(3月27日落成式) |
4月1日 | 第6代望月兼次郎校長着任 | |
昭和55年 | 4月1日 | 新入生より1学級増、9学級となる |
昭和56年 | 1月27日 | 欅寮前の彫刻「陵の精」完成(2月21日除幕式) |
3月10日 | 新館完成 | |
3月16日 | 第2次運動場拡張(テニスコート4面) | |
4月1日 | 第7代宮下仁男校長着任 | |
9月7日 | 創立20周年記念式典挙行 記念誌「静岡東高20年の歩み、続東高の教育を考える」 「静岡東高新聞縮刷版」(1号〜67号) 発刊 |
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昭和58年 | 4月1日 | 第8代今城格校長着任 |
昭和59年 | 9月30日 | 本館耐震補強工事完了 |
昭和61年 | 4月1日 | 第9代小川剛廣校長着任 |
昭和62年 | 3月20日 | 音楽教室完成 |
4月1日 | 新入生より1学級増、10学級となる | |
平成元年 | 3月15日 | 全天候型テニスコート完成 |
平成2年 | 4月1日 | 第10代笠原健次郎校長着任 |
平成4年 | 4月1日 | 第11代阿形吉明校長着任 新入生より1学級減、9学級となる |
10月31日 | 創立30周年記念式典挙行 記念誌「ひとりひとりが明日を拓く、あこがれやまぬこころをいだいて」 「静岡東高新聞縮刷版」(68号〜84号) 発刊 、欅寮整備 |
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平成6年 | 4月1日 | 第12代小倉勇三校長着任 新入生より1学級増、10学級となる |
平成7年 | 4月1日 | 新入生より1学級減、9学級となる |
平成9年 | 4月1日 | 第13代寺尾理校長着任 |
平成10年 | 2月20日 | 新体育館落成式 運動部室、東稜記念室整備 |
3月25日 | 正門移転新設及び学校周辺環境整備完了 | |
4月1日 | 2学期制を導入 | |
平成11年 | 9月30日 | 大規模補修工事完了 |
平成13年 | 3月28日 | 静岡県立大学との大学授業受入れに関する協定締結 |
4月1日 | 第14代加藤義校長着任 新入生より1学級減、8学級となる |
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9月21日 | 静岡大学教育学部公開講座に関する協定締結 | |
平成14年 | 2月15日 | パソコン教室完成、東龍館改修工事完了 |
11月16日 | 創立40周年記念式典挙行 記念誌「なんて碧い空」発刊 | |
平成15年 | 3月27日 | 常葉学園大学オープンセミナーに関する協定締結 |
4月1日 | 第15代須藤壽忠校長着任 | |
平成18年 | 7月20日 | 耐震工事始まる |
平成19年 | 4月1日 | 第16代横澤幸仁校長着任 |
12月19日 | 別館耐震補強工事完了 | |
平成21年 | 12月25日 | 欅寮改修工事完了 |
平成22年 | 4月1日 | 第17代石川惠一朗校長着任 |
平成23年 | 4月1日 | 3学期制に戻す、 土曜公開授業を始める |
平成24年 | 11月3日 | 創立50周年記念式典挙行 記念誌「欅の大樹に胸を懐いて」発刊 |
平成25年 | 3月9日 | 庭園(欅ひろば)整備 |
3月25日 | 地理室を整備し、第2視聴覚室と改称 | |
4月1日 | 第18代平井はる美校長着任 | |
平成27年 | 4月30日 | 学力向上アドバンススクール指定校 |
平成28年 | 4月1日 | 第19代勝山博子校長着任 |
平成30年 | 6月7日 | コアスクール(学力重点)指定校 |
平成31年 | 4月1日 | 第20代笠井義明校長着任 |
新入生より1学級減、7学級となる | ||
令和3年 令和5年 |
4月1日 4月1日 |
第21代鈴木伸彦校長着任 第22代宮田治幸校長着任 |
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